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大御食神社♪
2017 - 10/28 [Sat] - 06:35
大御食神社です。

創立は景行天皇40年とありますから西暦で128年
約1900年の歴史のある古いお社
上伊那はもちろん、全国でも古い歴史をもつ有数のお社です。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
五郎姫尊(いついらつひめのみこと)の3柱の神様。
創立は、御祭神であります日本武尊が
当地、駒ヶ根をを通られたことに由来します。
日本武尊はとても賢く、文武に優れていたことは周知の事実
父親であります景行天皇は、修行の旅として
九州征伐の命を与えますが、日本武尊はあっさりとこなし
続いて与えられた命が東征(東方の征伐)
一説には、あまりにも優れている日本武尊だったので
その力を恐れたのでは、といったほどに優れていたそうです。
東征を終え都へ帰る途中、諏訪には強い神様がいるので…と
諏訪を避けて赤石山脈を越えて駒ヶ根の地に立ち寄ったのが
景行天皇41年、今の大御食神社その際に憩われてお手を掛けられたといわれる
お手掛け石があるのがこの杉の木の下

駒ヶ根の4つの小中学校で今でも歌われている校歌
その2番にも歌われています。

この時、日本武尊をご接待申し上げたのが
里の首長であった赤須彦、尊は大いに喜ばれ
赤須彦に御食津彦(みけつひこ)の称号を授けられたことから
御食津彦が、この杉の下に神殿を建て
日本武尊をお祀りしたのが
大御食神社の始まりと伝えられています。
この大御食神社に伝えられています神代文字といわれる
古文書が、神社はもちろん、この里の歴史書であります。
駒ヶ根に住んでいる方でも
大御食(おおみけ)神社というより
「美女ヶ森」といった方がピンとくる方が多いでしょうね…
大御食神社です。

創立は景行天皇40年とありますから西暦で128年
約1900年の歴史のある古いお社
上伊那はもちろん、全国でも古い歴史をもつ有数のお社です。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)
誉田別尊(ほむだわけのみこと)
五郎姫尊(いついらつひめのみこと)の3柱の神様。
創立は、御祭神であります日本武尊が
当地、駒ヶ根をを通られたことに由来します。
日本武尊はとても賢く、文武に優れていたことは周知の事実
父親であります景行天皇は、修行の旅として
九州征伐の命を与えますが、日本武尊はあっさりとこなし
続いて与えられた命が東征(東方の征伐)
一説には、あまりにも優れている日本武尊だったので
その力を恐れたのでは、といったほどに優れていたそうです。
東征を終え都へ帰る途中、諏訪には強い神様がいるので…と
諏訪を避けて赤石山脈を越えて駒ヶ根の地に立ち寄ったのが
景行天皇41年、今の大御食神社その際に憩われてお手を掛けられたといわれる
お手掛け石があるのがこの杉の木の下

駒ヶ根の4つの小中学校で今でも歌われている校歌
その2番にも歌われています。

この時、日本武尊をご接待申し上げたのが
里の首長であった赤須彦、尊は大いに喜ばれ
赤須彦に御食津彦(みけつひこ)の称号を授けられたことから
御食津彦が、この杉の下に神殿を建て
日本武尊をお祀りしたのが
大御食神社の始まりと伝えられています。
この大御食神社に伝えられています神代文字といわれる
古文書が、神社はもちろん、この里の歴史書であります。
小碓の皇子の木の元に~
赤穂学校を出た方なら皆歌える校歌です♪
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四徳神社♪
2017 - 10/27 [Fri] - 06:34
「現在」は…といいますのは
「四徳神社」はもともと
中川村の四徳の郷の鎮守の神様でありましたが
ご存知、三六災害(昭和36年に伊那谷を襲った悲劇)で
四徳から駒ヶ根・飯島などを中心に
引っ越しをやむなくされた氏子の皆様は
「四徳神社」を、この駒ヶ根高原にある
「高尾山薬王院駒ヶ根分霊院」の裏山に四徳から遷座しました。
といいましても
この「高尾山薬王院駒ヶ根分霊院」も
旧四徳村の信者さんが本山から分祀して迎えたものを
三六災害で現地にお移ししたといわれています。「高尾山薬王院」に続く参道
その先にお鎮まりになる
(仏教もお鎮まりでよいのでしょうか?)「高尾山薬王院」。
その高台に鎮座する「四徳神社」です。今では住まいがバラバラになってしまった旧四徳の皆様が
一堂に会して5月3日に例祭を行います。御本殿は、この駒ヶ根高原にお遷しされていますが
四徳の神社もまだ残っています。が、氏子さんが皆引っ越されてしまったのでは
神社だけ無事でも心配ですからと駒ヶ根に遷し
奇跡的に残ったこの神社も
今も氏子の皆様によって綺麗に管理されています。
当「四徳神社」の元の宮司さんは
こまつ家の恭二さんのお祖父さんが
勤められていました♪
「四徳神社(しとくじんじゃ)」は中川のお宮です。
現在は、駒ヶ根市の菅の台(駒ヶ根高原)に鎮座しています。「現在」は…といいますのは
「四徳神社」はもともと
中川村の四徳の郷の鎮守の神様でありましたが
ご存知、三六災害(昭和36年に伊那谷を襲った悲劇)で
四徳から駒ヶ根・飯島などを中心に
引っ越しをやむなくされた氏子の皆様は
「四徳神社」を、この駒ヶ根高原にある
「高尾山薬王院駒ヶ根分霊院」の裏山に四徳から遷座しました。
といいましても
この「高尾山薬王院駒ヶ根分霊院」も
旧四徳村の信者さんが本山から分祀して迎えたものを
三六災害で現地にお移ししたといわれています。「高尾山薬王院」に続く参道
その先にお鎮まりになる
(仏教もお鎮まりでよいのでしょうか?)「高尾山薬王院」。
その高台に鎮座する「四徳神社」です。今では住まいがバラバラになってしまった旧四徳の皆様が
一堂に会して5月3日に例祭を行います。御本殿は、この駒ヶ根高原にお遷しされていますが
四徳の神社もまだ残っています。が、氏子さんが皆引っ越されてしまったのでは
神社だけ無事でも心配ですからと駒ヶ根に遷し
奇跡的に残ったこの神社も
今も氏子の皆様によって綺麗に管理されています。
四徳の御先祖様にも感謝申し上げながら
駒ヶ根の地で粛々と祭事を挙行しております♪
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当「四徳神社」の元の宮司さんは
こまつ家の恭二さんのお祖父さんが
勤められていました♪
三和社♪
2017 - 10/26 [Thu] - 06:33
「上穂町区」「町一区」「町二区」「町三区」「町四区」
いわゆる町部自治会が氏子区域となります。

御祭神は「大山祇(おおやまづみ)大神」
「豊受姫(とようけひめ)大神」
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」
「大己貴(おおなむち)大神」
「香具土(かぐつち)大神」
「少彦名(すくなひこな)大神」
「保食(うけもち)大神」
「国常立(くにのとこたち)大神」
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)大神」
「栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)大神」
「稚日女(わかひるめ)大神」
「稚産霊(わくむすび)大神」
「天三津姫(あめのみつひめ)大神」
「三炊屋姫(みかしやひめ)大神」の14柱

創立は正安2年(1300年)3月1日
愛媛県(当時の伊予国)大山祇神社より
大山祇大神の御分霊をお迎えしたのが始まり。

明治44年、「蚕霊稲荷社」「伊勢社」「金刀比羅社」
「秋葉社」「御嶽山社」「市神社」の5社を合祀しました。

「三和社」の名前の由来は
その昔、当地が「庶民」「町民」「百姓」の三者の間で
大小の紛争、討議が絶えず
この三者の協和を願って奉られたことから
三者の協和「三和社」と名付けられたと伝えられています。

例祭は4月17日に毎年行われており
私の受持の中では、春に例祭を行う2社の内の1つです。

その例祭の頃にはちょうど境内の桜が満開
見頃を迎えます。

御本殿の向かって右側に末社(境内社)がありますが
3社、左から「三峯神社」

真ん中が「津島神社」

「津島神社」の例祭は「祇園祭」
各町内から御輿が担ぎ込まれ境内は賑わいます。

そして右側が「恵比寿神社」
11月には例祭が賑々しく斎行されます。
「三和社」みわしゃ…とお読み致します。
駒ヶ根市上穂栄町に鎮座していますが「上穂町区」「町一区」「町二区」「町三区」「町四区」
いわゆる町部自治会が氏子区域となります。

御祭神は「大山祇(おおやまづみ)大神」
「豊受姫(とようけひめ)大神」
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」
「大己貴(おおなむち)大神」
「香具土(かぐつち)大神」
「少彦名(すくなひこな)大神」
「保食(うけもち)大神」
「国常立(くにのとこたち)大神」
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)大神」
「栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)大神」
「稚日女(わかひるめ)大神」
「稚産霊(わくむすび)大神」
「天三津姫(あめのみつひめ)大神」
「三炊屋姫(みかしやひめ)大神」の14柱

創立は正安2年(1300年)3月1日
愛媛県(当時の伊予国)大山祇神社より
大山祇大神の御分霊をお迎えしたのが始まり。

明治44年、「蚕霊稲荷社」「伊勢社」「金刀比羅社」
「秋葉社」「御嶽山社」「市神社」の5社を合祀しました。

「三和社」の名前の由来は
その昔、当地が「庶民」「町民」「百姓」の三者の間で
大小の紛争、討議が絶えず
この三者の協和を願って奉られたことから
三者の協和「三和社」と名付けられたと伝えられています。

例祭は4月17日に毎年行われており
私の受持の中では、春に例祭を行う2社の内の1つです。

その例祭の頃にはちょうど境内の桜が満開
見頃を迎えます。

御本殿の向かって右側に末社(境内社)がありますが
3社、左から「三峯神社」

真ん中が「津島神社」

「津島神社」の例祭は「祇園祭」
各町内から御輿が担ぎ込まれ境内は賑わいます。

そして右側が「恵比寿神社」
11月には例祭が賑々しく斎行されます。
永見山諏訪社♪
吉瀬諏訪社♪
2017 - 10/24 [Tue] - 06:31
私が受け持っているのは「吉瀬」と「永見山」の2社です。

「吉瀬諏訪社」の御祭神は
「建御名方(たけみなかた)大神」
「誉田別(ほむだわけ)大神」
「木花咲耶姫(こにはなさくやひめ)大神」
「伊弉冉(いざなみ)大神」
「久久理姫(くくりひめ)大神」

由緒、創立年月日は不詳

明治末期の神社合祀政策により
明治41年「諏訪社」「白山社」「富士浅間社」「八幡社」を合祀
今の「諏訪社」となり御祭神となりました。

こちらは、境内にある末社「富士嶽神社」です。
駒ヶ根市中沢吉瀬(きせ)地籍に鎮座する神社「諏訪社」
正式名称は「諏訪社」ですが
他と区別するために「吉瀬諏訪社」と呼ばれています。
私が受け持っているのは「吉瀬」と「永見山」の2社です。

「吉瀬諏訪社」の御祭神は
「建御名方(たけみなかた)大神」
「誉田別(ほむだわけ)大神」
「木花咲耶姫(こにはなさくやひめ)大神」
「伊弉冉(いざなみ)大神」
「久久理姫(くくりひめ)大神」

由緒、創立年月日は不詳

明治末期の神社合祀政策により
明治41年「諏訪社」「白山社」「富士浅間社」「八幡社」を合祀
今の「諏訪社」となり御祭神となりました。

こちらは、境内にある末社「富士嶽神社」です。