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大御食神社と校歌♪
今回も、「信濃鶴」専務杜氏の純米酒ブログで振っていただいた話題から、書かせていただきますね。まず、大御食神社の社名の謂われです。以前のブログ「神代文字をたずねて♪」で少し触れましたが、その昔「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が東征ののち赤石山脈を越えて当地を通られた際、ご接待を申し上げた里の首長「赤須彦」に対し、その接待に満足された「日本武尊」が赤須彦に授けられたお名前「御食津彦」に肖って付けられたと言われています。また、その際には、当地の絶世の美女達がおもてなしをされたという言い伝えと、御祭神に「五郎姫大神(日本武尊の奥様)」をお迎えしたときより、この地では大御食神社のことを「美女が森」と呼んでおり、実際の社名を知らない方も実際に多いほどです。
ちょっと話は変わりますが、校歌のお話しをさせていただきますね♪
『天路を走る駒ヶ嶺や
雲間を下る天竜や
その原(たかはら)に地を占めて
操も清き鈴蘭の
ゆかしく薫る学びの舎』
私の母校の校歌です。
私が小学生の当時は9クラス有ったマンモス小学校も、今では3校に分かれています。そして、赤穂小学校・赤穂南小学校・赤穂東小学校の3校が、中学に入学すると1つになり、マンモス中学校となります。全国的にも珍しいそうですが、その3つの小学校そして中学校も同じ校歌が歌われます。もちろん、当時は珍しいなどとは思いもせず、当たり前のように歌っていましたが(笑、9年間慣れ親しんだ校歌は、当地区で育った人の胸に、深く刻まれています。
その歌詞の中に、
『小碓の皇子(みこ)の木(こ)の下(もと)に
憩い給いし神杉の
神さびませる美女ヶ森…』
とあります。
これは、2番の歌い出しです。小碓の皇子とは日本武尊のことであります。美女が森、大御食神社の境内の御神木の元に、日本武尊が東征の帰りに当地区を通られた際、肘を掛けた(手掛け石)と言われている石があり、その事を歌っているのです。これも、小学生当時は意味も分からず歌っていましたが、今となっては御奉仕させていただく度に感慨深く拝見しています。
当地区では、40歳になると同学年の仲間が集まり「厄年会」というものがが発足します。(今日は、厄年会実行委員会の成功祈願祭の打ち合わせに安楽寺へ行ってきました。)厄年会設立総会では校歌を歌い、25年ぶりの校歌斉唱に涙する人が数多くいると聞きました。現在でも同じ校歌が小中学生に歌われています。この校歌の意味をどこまで子供たちに教え、何を感じているかは知るところではありませんが、しみじみと母校の校歌を思うとき、故郷が詰まったこの誇り深き校歌を大切にしたいと思いました。皆様も、折に触れ母校の校歌を思い返してみてはいかがでしょうか。新しい発見があるかも知れません。我が母校「駒ヶ根市立赤穂小・中学校校歌」3番は、
『崇き自然を師父として
堅忍不抜の意氣を練り
遠き歴史を偲びつゝ
向上進取の氣をきたえ
いよゝ赤穂の名を挙げん』
う~ん、素晴らしい。しかし、なんて難しい校歌なのでしょうか(笑。
長くなりましたが、「だから駒ヶ根は美女が多い」そんなお話しでした(え?疑いの視線と納得の視線を感じながら…笑。
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