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テニアンな話し♪

2014 - 11/04 [Tue] - 06:06

毎年行っています、テニアン島の慰霊祭のお話です♪

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「この大空と大海原に馳せる想い
       ~日本からこの地を訪れたすべての人々へ~

あなたの純真な心に純粋に美しく映える
この見渡す限りの大空と大海原が
ひととき悲しみに曇り涙に霞んだ真実を
忘れること無く後世に伝えて欲しいと願います・・・

大東亜戦争当時
日本を遠く離れこの島を含め南洋の多くの島々で戦没された
軍人兵士『英霊』や
運命を共にされた当時の在留邦人の多くは
国家防衛と国民平安の為に尽くされ
祖国の永続と民族の永遠とをひたすらに願い
尊い命を捧げられました

激戦の果てに行き場を失い日本民族の誇りに懸けて
この断崖から紺碧の海に我が子と共に身を投げることなど
我々には想像もし難い事実であります

平和な次代を残す為に
日本人としての生き方を示し遺された先人達に
感謝の心と敬慕の念を以ってお報いする為
慰霊の誠を捧げていただければと存じます

散華された『英霊』と戦没者の御霊は
祖国に帰り靖國神社にお祀りされております
そして幸せに元気よく今の世を生きている
『あなた』を見守っていて下さいます

帰国後は、この島のこの場所であなたが感じた
見渡す限りの大空と大海原の美しさを
靖國に鎮まる御霊にあなたらしく伝えていただければと願います」

20071003100028.jpg

これは、北マリアナ諸島テニアン島に
長野県神道青年会(県内40歳までの神職)が建てた
慰霊施設内の碑に刻んであります碑文です。

あれは平成13年
私が長野県神道青年会の事務局長を務めていた年
当時の会長が「テニアン島に慰霊碑を建てたい」
と言っているといった噂を耳にしました。

周りの反応は「NO!」
恥ずかしながら
当時の私も「テニアン島」という名前すら聞いたことが無く
もちろんそこでの史実も知らず
「なにも遠く離れた外国に慰霊施設を建てなくても」
という思いで、大方の意見と同じでした。

事務局長といえば
会長の命を受け事務を遂行する役目である
と理解はしていましたが
会員の生の声を伝えることも大切であると
会議に先立ち、個室で
率直に反対意見を述べさせていただきました。

20071004140400.jpg
(上空から見たサイパン島)

すると会長は、穏やかに口を開き…
自分は、消防団員時代に何度かテニアン島を訪れた…
そう言ってテニアン島また
我が長野県に縁のある松本50聯隊について話し始めました。

テニアン島とは…

テニアン島は
北マリアナ諸島サイパン島の8㎞南に位置する島
現在はアメリカ合衆国の自治領となっています。

テニアン島はその昔スペイン領からドイツ領となり
第一次世界大戦でのドイツ敗北により、日本領となりました。

日本の統治下となってから
初めてテニアン島が開発されることとなり
当初4人の日本人が移住し開発を初めてから
最高時の1944年6月当時は1万5千人以上(軍人を除く)が
砂糖の生産や鰹節製造業などを営みながら生活をしていました。

松本50聯隊(歩兵第50聯隊)は
明治38年(1905年)に編制され
同年明治天皇より「我が帝國を保護せよ」との勅語と共に
軍旗を親授されました。

大東亜の戦局に暗雲が漂い始めた昭和19年(1944年)
御前会議において
「日本帝國が、戦時目的を達する上に絶対確保を要する圏域」
として、硫黄島・トラック島と並び
マリアナ諸島(グアム・サイパン・テニアン)が
国家防衛の最重要地域として認識され
50聯隊を主力とする29師団にマリアナ守備の勅命が下りた時
師団長高品彪氏は「我、身を以って太平洋の防波堤たらん」
と奉答し、以後、50聯隊はこの言葉を誓詞と掲げ
島の死守を決意しました。

6月、米軍の攻撃が始まり、サイパン島が陥落すると
攻撃目標がグアム・テニアン島へと移り
装備の無い守備隊は総反撃も虚しく
島への上陸を許してしいます。

陸海あわせて約8千人のテニアン守備隊も
上陸から僅か2日で主力部隊は壊滅、2千人の戦力となり
神社を拠点とした司令部も
北のラソー神社から南の住吉神社に後退していきました。

8月1日午後6時55分
米軍のテニアン占領宣言が発表されると、同日深夜
50聯隊・第17代聯隊長緒方敬志氏の手により
編制より守られてきた軍旗が奉焼され
翌日の玉砕攻撃へ向けて準備が整えらました。

残された日本人は兵隊のみならず一般人までもが
捕虜になることを頑なに拒み
スーサイドクリフより身を投げ自決
紺碧の海がひととき血の色に染まったといいます。

子を持つ一般人は、泣きながら子供等の背を押し
後を追い身を投げたといいます。

そして1年後の8月6日、この島から広島に向かって
原爆を積んだエノラ・ゲイが飛び立つ事となったのです。

20071005085657.jpg
(スーサイドクリフ断崖を上から撮影)

会長「それは綺麗な島なんだよ。
海なんか、透き通るほどのコバルトブルー。
そこで、戦時中は悲しい悲しい出来事があったんだ。
岬から我が子の背を押して
その後を追い飛び込み自殺をするなんて
今の時代は考えられないだろ?」

「・・・」

会長「その島は、今でこそ
ダイビングスポットとして有名な観光地で
日本人観光客が多く遊びに行く観光名所になっているんだよ。
でも俺は、その岬に立ったら涙が止まらなかったんだ。」

「・・・」

会長「でもな、そんな悲しい出来事があったことなんて
知らない若者が多いんだ。
俺は一緒に行った消防団員には、手を併せるよう説明したよ。
でも、その岬にある慰霊施設はすべて仏教や他宗教のもので
神道の慰霊施設がないんだよ。
だから、我々長野県神道青年会で
そのスーサイドクリフに神道式の慰霊碑を建てたいと思うんだ。」

20071005085856.jpg
(慰霊施設建設予定地)

私は、この時ほど
自分の無知さを恥じたことはありませんでした。

何も知らずに
ただただ反対していた自分を恥ずかしく感じると共に
この時から
まだ見ぬテニアン島に想いを馳せる日々が始まりました。

テニアン島に関する書物を読みあさり
yahooオークションに「テニアン島」でアラートをかけ
写真集や情報誌を買い読みあさりました。

その後の会議では、会長が長時間に渡り
テニアンでの史実や
会長が慰霊碑建立を思い立ったに至る経過を説明し
まずは現地へ行き、現地調査をしっかりした上で
土地の確保など建立することが可能か否かを
調べなければならない…と言うことになり
旅行業者に間に入っていただき
北マリアナ連邦の議員さんや
テニアン市の役員さんとお会いするべく
現地に飛ぼうということとなりました。

それが平成13年の話しです。

松本50聯隊は、編成地は長野県の松本でしたが
実際は愛知や岐阜の隊員が多かったと聞いています。

現在、その編成地である松本の兵営跡地は
信州大学のキャンパスとなっています。

我々の暮らす長野県に縁のある
「松本50聯隊」が玉砕した地に想いを馳せ
平成14年3月、9名の会員が
テニアンへ視察調査に飛び立ちました。

2月といえば、まだまだ日本は真冬
零下の日本から30℃以上のサイパンへ
サイパン国際空港で我々を迎えてくれたのは
常夏の暑さと灼熱の日差しでありました。

我々の目的は
「大東亜戦争を中心とした英霊並びに戦歿者に対する
慰霊顕彰事業を当会の継続事業として位置付ける為
戦跡である北マリアナ諸島の現地に於いて
当時の史実を考察し慰霊と顕彰の実情を把握することによって
より有意義な事業活動の展開に資するため。」…ということで
出迎えのバスに乗り
サイパン初上陸(私は)の喜びに浸る間もなく
取るものも取らずといった形で
まずはサイパン島のバンザイクリフへと向かいました。

車中からは「ラストコマンドポスト」と呼ばれる
サイパン島での最後の日本軍司令部跡や
艦砲射撃により傷付けられた岩肌が見え
ここでの惨事を物語っていました。

20071006092953.jpg
(艦砲射撃のあとが残る岩肌)

サイパン島バンザイクリフで慰霊祭をするべく
一同は日本から持ち寄った荷を解き
祭壇を組み竹を立て斎場を設営しました。

まだ日本とサイパンの温度差に体が慣れていないにも関わらず
汗を拭うのも忘れたかのように一同は無言で準備しました。

焦げそうな陽射しと
押し寄せては岩壁にぶつかり砕ける波の音に包まれて
慰霊祭の御奉仕をしました。

バンザイクリフを目の前にして
祭詞奏上の間そこでの史実を脳裏に繰り返し
綺麗な海・空・景色とのギャップに涙が溢れ
その涙は汗と共に足元に落ち、大きな跡が出来ました。

祭典と後片付けを済ませ、サイパン戦跡を巡りホテルに帰り
慌ただしく一日を振り返る暇もなく
明日テニアン島へ向かう準備と打ち合わせを済ませました。

2日目、サイパン島チャーリードック港よりフェリーで
今旅の最大の目的地でありますテニアン島へ向かいました。

約1時間して、テニアン島に着き
まずはテニアン島の戦跡を巡り
最終目的地「スーサイドクリフ」へと向かいました。

テニアン島での慰霊祭斎行の場所であるこの岬
昨日のサイパン島バンザイクリフで感じた想い
波の音、海の色、同じ雰囲気を感じました。

会長の話にあったように
岬に建立されている多くの慰霊碑の中には
神道系のものはありませんでした。

一通りの視察を終えて慰霊祭の準備をし
皆モノも言わず慣れた手つきで準備を終え
テニアン島スーサイドクリフでの慰霊祭も終えました。

20071006093036.jpg
(視察調査時の、慰霊祭の様子)

2日間、2つの慰霊祭を終え
今回のもう1つの目的であります
「北マリアナ連邦やテニアン市の役員さん訪問」
果たして、現在はアメリカ領となっているテニアンで
私たちのようなもの達と会っていただけるのでしょうか…。

そんな不安を胸に、マリアナ政府観光局を訪ねました。

幸いにもマリアナ政府の議員さんとお話しをすることが出来
しかもテニアン市長さんともお会いすることが出来
直接我々の想いをお話しさせていただくことが出来
そして当初の目的に対し大きな成果を収めることが出来ました。

20071007063639.jpg
(テニアン島内…車窓から)

帰国後9名の会員は
仲間にサイパン島・テニアン島での想いを伝えました。

「様々な宗派で建った碑又個人で建った碑は数多くあれど
これだけ日本人の観光客の多い中に誰もが自由に参拝し
手をあわせる場所が無いことに寂しさを覚えた」

「年老いた父母や愛する妻子を故国に残し
御国の為尊い命を捧げられた英霊等の心に応えるためにも
慰霊碑建立の早期実現と慰霊の心が
未来永劫受け継がれていくことを切に希望する」

これらは、参加者が帰国後書いた感想文から抜粋したものですが
参加者は現地で慰霊祭を斎行し
現地の空気を肌で感じ当時に想いを馳せることで
現在の平和を改めて強く感じることが出来たことや
慰霊碑は幾つも建ち並んではいるけれども
実際この場で何があったのか説明するものが何も無いことなど
それぞれに慰霊碑建立の必要性を伝えることで
慰霊碑を建立する方向で議論を進めることになりました。

どんなものを建立するか決める傍ら
仲介の旅行業者を通して現地政府と土地確保の交渉を進め
視察時に慰霊施設建立に最適と下見をした場所を申請しました。

役員会では、慰霊碑ではなく
どうせなら神社(祠)を建てたらどうか?
など様々な意見が飛び交いました。(続く)

続きは明日♪
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(11月6日)テニアンな話し(続き)♪

間もなくして、現地から
無償で土地を提供してくれるといった有難い許可が下りました。

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その寸法にあわせ絵を描き

20071007063749.jpg

模型を作るなどして、

20071007063833.jpg

徐々に形が決まってきましたが
大変なのは建立資金をどうするかです。

もともと積立金は少額しかありません…
神社界では東海地区に属する長野県
まずは神道青年東海地区協議会に共催者となっていただくことで
県内はもちろん東海五県の神職さんや神社庁また大きな神社
そして関係業者より寄付していただけるようにと
「趣意書」「企画書」「事業概要書」などを調え
予定図を添えての募財活動が始まりました。

お金が絡んでくると
元からあった外部の反対の声も更に大きくなってきます。

「靖國神社や護國神社があるのに
何で国外へ慰霊碑を建てるんだ?」

「ずっと維持しいくことが出来るのか?」など…

苦言を呈しながら寄付をしていただける方
もちろん苦言だけで寄付していただけない方もいました。

疑問の声や不安の声もある中
応援してくれる方々も数多くいました。

長野県神社庁も後援についていただき
靖國神社からも多額の助成金を戴けることとなり
神社庁また靖國神社公認の事業として着実に慰霊碑建立に向け
会議を繰り返しました。

また、塩尻市の伊藤石材さんからは鳥居を御寄付戴けるといった
有り難いお申し出も戴き
県内外の多くの方々のご理解とご協力により
なんとか目標金額を達成することが出来ました。

そして、いよいよ発注
玉垣に鳥居、台座に御社殿
玉垣・鳥居・台座は石製ですので重く
とても飛行機というわけにはいきませんので船で運び込みます。

御社殿はテニアンの気候を鑑みると
木材製は朽ちてしまう危険性がありますが
あえて木材製を選び、今後朽ちたら新しく…朽ちたら新しく…と
御遷宮に生きる神道の甦りの心を盛り込みました。

また、愛知県神道青年会さんより
岡崎産の御影石で作った狛犬を御奉納戴けるということで

20071008093209.jpg
(現地慰霊施設に建立させていただきました「狛犬」)

更に素晴らしい慰霊施設になるのではと
期待に胸を踊らせていました。

発注したものが完成し
平成15年1月サイパン上陸のための4つの許可
(難しいことはよく分かりませんが)のうち
一番難しかった最後の許可がおり
2月頭にはサイパン、中旬にはテニアンに
石造物が上陸するという知らせがあり
これでなんとか「第1回 北マリアナ諸島戦歿者慰霊顕彰事業」
を行う3月6日に間に合わせることが出来た…

と思ったら・・・

社殿を設置することが出来なくなるような
重大な事件が起こってしまったのです。

と言うのも、ある方より、
今までにない重みのあるお言葉を頂戴したのです。

「スーサイドクリフといったら、
テニアン島の中では1番人目に留まる所。
そこに神道形式のものを建てるのは良いけれども
しっかり維持をしないと、湿気は多いし、台風は多いし
金物は現地の人が盗っていってしまうし…。
現地には中国や韓国の人が多いから
社殿を置くと射撃の的にされてしまうこともある。
管理人を常駐させるなり
相当な覚悟で行ってもらわなければ困る」と。

ある方とは、県外の神主さんで
数十年前より南洋の島々で慰霊活動を行っている方で
当サイパン島・テニアン島でも遺骨収集活動や
「サイパン神社」「テニアン神社」の復興はもとより
政府の要人とも深くお付き合いがある方で
これまで苦言を戴いた方々とは比べものにならない意見
既に各島々で慰霊活動を行っている方からの
生の助言と捉えさせていただき、早速に会いに行き
更なるご助言を素直に聞き入れ
3月の慰霊祭に先立ち再度視察をするべく4人が現地へ飛び
最終確認をし、玉垣と説明板だけを建立して当日に備えました。

慰霊碑建立という話しが持ち上がってから2年弱
という短い期間で、準備不足の面も否めませんが
なんとか慰霊祭を斎行出来るまでに整いました。

たった一回だけの事前視察で
見落としてきたことも沢山有りましたが
有り難いご助言に寄りまして事前に対処することが出来
これからまた調査をする中で
残りの施設(鳥居と狛犬)を建てることにして現地に保管し
社殿は、最近中国人や韓国人が多く訪れるので
壊される可能性が多く、また屋根が銅葺きであり
現地の人に壊され盗られる危険性を多く孕んでいるということで
当面は神籬祭祀(当日御霊をお迎えし祭典)で
慰霊祭を行うこととしました。

20071009100247.jpeg
(平成15年3月現在)

慰霊団も、当初計画の100名とまではいきませんでしたが、
県内外より多くの参加者が集まりました。

当日は、始めにテニアン神社で奉告祭を行い

20071009100324.jpg
(テニアン神社での奉告祭)

引き続きスーサイドクリフで慰霊祭を斎行しました。

20071009100340.jpg
(平成15年度 慰霊祭)

2年目には、鳥居と台座
また愛知県神道青年会寄贈の狛犬も設置され
一段と厳かな祭典が出来るようになりました。

20071009100403.jpg
(平成16年2月の現地)
20071009101801.jpg
(平成16年 慰霊祭)

しかしながら、維持していくことは大変です。

月々の維持管理費用も
もともと資金のない神道青年会独自で守り続けていくことが
どこまで出来るかわかりませんが
現在では、神道青年東海地区協議会が
維持費分ほどの助成金を毎年補助して下さっています。

しかし、予期しなかった出来事も起こります。

20071009100635.jpg

北マリアナ諸島は、台風の通り道
ある強い台風で説明碑が倒れ壊れてしまったのです。

また、ある年には、近くにある慰霊施設が
中国人により破壊されたという報道があり
周囲2~30メートル四方の施設が壊された…
という報道でしたので
すぐ現地に電話をしたこともありました。

また、一般の渡航者より、尾が欠けている狛犬の写真を
(WBCの腹いせ…という説をつけて)
送ってもらったこともありました。

それでも私たちは、続けることが出来る限り当施設を守り
ここでの史実を、テニアン島に来る人々に伝えることで
これからの日本を支えて行くべく若者達に
先人への感謝の心を持ち続け
慰霊の誠を捧げてもらいたいと切に願っています。

その島で遊んではいけないということではありません…
碑文にもありますように
「幸せに元気よく今の世を生きている
『あなた』を見守っていて下さいます」のように
この島を訪れて元気よく遊んでいる姿を見せることも慰霊です。

ただ、元気で遊べる「今」があるのは
御先祖様のお陰であることを忘れないように
または時々にでも思い出してもらうきっかけとなり
そして靖國神社、または護國神社、招魂社、招魂碑
仏壇や神棚に手を併せてもらえれば…。

20071010094543.jpg

実のところをお話ししますと
建立から10年以上経ち
長野県神道青年会にも建立当時の会員が少なくなり
当初の建立理由など知らない人がほとんど
当慰霊施設を維持していくのが大変…という声も多く
今後の在り方を検討している時期でもあります。

しかし、出来る限りは維持し続けていっていただきたい…
毎年の慰霊祭も続けていっていただきたい…
神道青年会員は、やがて定年を迎え卒業していってしまうけれど
神道青年会には必ず新しい会員が入り
新しい組織として存続していく組織であり
私たち個人個人はいずれ死んでいなくなってしまうけれども
未来、将来のことを考えると神道青年会という組織で
当施設を、当慰霊事業を続けていっていただくのが理想
そして、後輩達には同じ気持ちであって欲しいし
同じ気持ちをまだ見ぬ後輩達にも伝えていって欲しい
そう、思っています…広く、全国の同志達にも…。

20071010094603.jpg

当初は、我々神職やその家族だけではなく
遺族の方々や一般の方々にも参加していただきたいと
計画をしていましたが
日帰りで行けるような場所でもありませんし
それ相当のお金も日数もかかりますので
なかなか慰霊団の参加者も増えませんが
もし皆さんが他の旅行でテニアン島を訪れたら
是非スーサイドクリフへ行っていただきたいと思います。

たまたまテニアンへ観光で渡る方も多くいますが
スーサイドクリフへ行くと
必ず目に留まる場所に施設はありますし
説明板も見ていただけることと思います。

当初、奉告祭を斎行していた「テニアン神社」ですが
10年前とはサイパン・テニアンの諸事情も大きく変わり
サイパン-テニアン間に行き来していたフェリーはなくなり
日本-サイパン便の飛行機もセントレア発着がなくなり…など
時間的な制約もありここ数年斎行されておりませんが
機会があれば是非お参りして下さい。

サイパンへは行ったことがある人が多くいると思いますが

20071010094617.jpg

(今では乗ることの出来ないフェリー)

サイパンからセスナで飛行時間は約10分

20071010095216.jpg

サイパンのマニャガハ島も綺麗ですけれど
是非もう一歩足を伸ばしてテニアン島へ出かけてみて
そして史実に触れてみて下さい。

昔、この場所で何が起きたのか
本当は自分でお調べいただくのが一番ですが
私も経験があるように
それをするのはよほど興味を持ったときしかできません(汗

繰り返しになりますが、日本領であった頃
私たちの先々代の年代の方々が
この地に1万人以上も定住されていました。

戦争でアメリカに占領されることとなり
島の端へ端へと追いやられ
水不足の孤島ですから
真夜中に井戸へ水を飲みに行ったところを
後ろから銃撃されるなどしていましたから
捕まれば何をされるか分からないといった状況の中
捕虜になるくらいなら死んだ方が良い…と判断した島民が
サイパン・テニアンそれぞれの岬から
子供たちの背を押し後を追って自決しました。

「クリフ」というのは「岬」のこと
それぞれの岬から「天皇陛下万歳」を叫びながら飛び降りた
そのことから名付けられている「バンザイクリフ」
また「スーサイド(自決)クリフ」といった名前なのです。

20071011101356.jpg

くどいようですが、それはそれは美しい岬
紺碧の海と青い空そして白い波しぶき
その景色を見て昔そんなことがあったなんて
誰が想像できるでしょうか?

今の平和な日本、そしてテニアンがあるのも
そこで戦いその時を生きた
先人の皆様のご苦労ご尽力の賜物なのです。

テニアンだけでなく、グアムや硫黄島、中国やアジアの国々
日本本土ももちろん沖縄でも
その時を生きた
我々の御先祖様がいて今があるのです。

20071011103139.jpg

テニアンは遠くて行くことが出来ないかも知れませんが
靖國神社、各県護國神社や各郡市部招魂社
その近くをお通りになられましたら
このお話しを思い出していただき
ちょっと足を伸ばして寄っていただき
お参りしていただければ幸いに存じます。

戦争でお亡くなりになられた皆様の御霊安かれと
心よりお祈り申し上げます。。。

20071011102256.jpg

今年度の慰霊旅行は…
平成25年2月25日(月曜日)~28日(木曜日)
毎年行われていますので、一緒に行っていただける方は
私までご連絡をお願い致します。

駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました♪

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短ければ・??

要約します。
読みました。気付かされました。ありがとうございました。先月旧満州方正県の日本人公墓参りました。維持大変と知りました。

短くしたら

が是か非かなんて事はとてもわからないけど、それが最善と信じながらも、子供を突き落とす切なさは想像ができる気がします。

すいません。ようやく謎が解けました

自決について、自分の子供を突き落とす縊りころす切なさならば想像できる気がすると書きましたらば、どうもNGワードだったようです。すいません、お騒がせいたしました。

ありがとうございます。

民間人は家族単位でなくなり、兵士でも本土空襲で身寄りを全て亡くし、忘れ去られた方が多数いらっしゃるのですね。慰霊の足がかりをつくられた大事業、協力できることがありましたら、ぜひお教え下さい。

中森さまへ♪

いろいろとお手間を取らせてしまったようで、すみません…
今を生きる私たちには、到底想像も出来ないことであります。
戦争を美化する云々といった次元ではなく、こういった史実を後世に伝えていくのが私たちの使命と毎年渡航しております。
今後とも、コメント下されば嬉しく存じます (*^_^*)

江戸太郎さんへ♪

兵士の方々は、自分のためでも家族のためでもなく、本土のため、本土に残された民のために戦い亡くなって逝かれました。
慰霊ですが、海外のことですので、難しいこともあります。
来年も5月に渡航予定ですが、まずはエボラが集結しないことには、他人を巻き込んでの旅行は難しいかな…
エボラの特効薬を、一日も早く開発していただけないでしょうか(苦笑

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isuzuguuji

Author:isuzuguuji
長野県の南に位置する駒ヶ根市
上穂・北割1区2区・中割・南割
5区の氏神様「大宮五十鈴神社」

祭神は「天照大御神様」(伊勢)
「熱田大神様」(熱田)
「建御名方大神様」(諏訪)始め
13柱の神様が、明治に合祀。

9月23日・24日は当社例祭
中でも、宵祭(23日)に行う
「三国花火」が有名

ブログ執筆は宮司 白鳥俊明

~~~~~コメント~~~~~

「社務日誌」とありますが、神社
のことだけではなく、日々の
想いをブログに綴っています。

座右の銘
「人生は心ひとつの置きどころ」

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