「先日、華厳宗(けごんしゅう)の大本山『東大寺(とうだいじ)』に所用があって行ったら、『宇佐神宮(うさじんぐう)』の神職さんが来ていたけど、どういう関係があるの?」と言ったご質問を戴きました。

Wikipedeia「東大寺」より
「東大寺」は奈良時代創建と言われています。
「東大寺」のご本尊(ほんぞん)は、「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」奈良の大仏…として有名ですよね。
「宇佐神宮」は、九州大分県にあり全国の「八幡(はちまん)さま」の総本社で、御祭神は応神天皇(おうじんてんのう・誉田別尊・ほむだわけのみこと)通称「八幡大神さま」です。
その昔、宇佐神宮と東大寺には、大仏建立の際に大きな関係がありました。
奈良時代は、天変地異、疫病の流行により、人々はとても苦しんでいました。
また、当時の律令制の税の負担はとても大きく、社会全体に不安な空気が漂っていました。
当時の都は、現在の奈良にありました。
都でも、藤原氏対反藤原氏の対立も激しく、奈良の都は暗雲が立ちこめ、ほうぼうで戦が勃発しました。
そんな時、当時の聖武天皇は、九州での「戦いの前に、必ず『宇佐神宮』に祈願する事」を命じていました。
祈りが通じ、板櫃川(いたびつがわ・北九州市)を挟んでの合戦(板櫃川の戦い)で、朝廷軍が勝利しました。
聖武天皇は、感謝の意を表すために、「宇佐神宮」の「弥勒寺(みろくじ・宇佐神宮寺)」に三重の塔を寄進し、朝廷の「宇佐神宮」に対する信頼はいっそう深まっていきました。
「仏教の興隆なしに、世の不安は解消できない!」
これが、当時の天皇、聖武天皇の考えでしたが、自然災害・社会不安をなくすために仏教の興隆を考えた聖武天皇は、全国に「国分寺」と「国分尼寺」を建て、奈良には「東大寺と大仏」を造ろうと考えました。
聖武天皇の緻密な計画により、「藁(わら)を一本でも運べば、仏によって救われる」この言葉を励みとした人々は大仏建立に参加しました。
しかしながら、あの大きな大仏です。
今でさえ、重機を使いクレーンでつって足場をかけて…と文明の利器を使っても大変な作業ですから、昔の人にとってはそれはそれは大変な作業だったと思います。
度重なる失敗、年を経るに従って、人々の暮らしへの影響も大きくなり、大仏造りはなかなか捗りませんでした。
こうなったら、都を遠く離れた九州「宇佐神宮」の八幡大神さまに頼るしかないと、勅使を度々派遣して、数々の寄進を重ねました。
そして747年、遂に八幡大神さまの「全面協力しよう」といったお告げがありました。
その後、大仏鋳造に成功した聖武天皇は、「八幡大神」さまを奈良に招き、「東大寺」の守護神として祀った(現在の「手向山(たむけやま)八幡宮」です)のが、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の始まりと言われています。
それから3年後(7度の失敗、計10年の年月を経て)、「大仏開眼」を迎え、「八幡」さまは「東大寺」の守護神とされています。
「手向山八幡宮」は、八幡宮ご分社第1号です♪
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明治時代の「神仏分離」で、「東大寺」からは独立しましたが、「八幡大神」さまは「八幡大菩薩(だいぼさつ)」と言われるほど仏教伝来時の「本地垂迹(ほんちすいじゃく・神は仏の化身といった考え)」が残っているのかも知れません。
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