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日本人の心の故郷(ふるさと)神社「神道」に触れてみませんか (*^_^*)v

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テニアンな話し♪

2016 - 11/05 [Sat] - 06:23

毎年行っています、テニアン島の慰霊祭のお話です♪

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「この大空と大海原に馳せる想い
       ~日本からこの地を訪れたすべての人々へ~

あなたの純真な心に純粋に美しく映える
この見渡す限りの大空と大海原が
ひととき悲しみに曇り涙に霞んだ真実を
忘れること無く後世に伝えて欲しいと願います・・・

大東亜戦争当時
日本を遠く離れこの島を含め南洋の多くの島々で戦没された
軍人兵士『英霊』や
運命を共にされた当時の在留邦人の多くは
国家防衛と国民平安の為に尽くされ
祖国の永続と民族の永遠とをひたすらに願い
尊い命を捧げられました

激戦の果てに行き場を失い日本民族の誇りに懸けて
この断崖から紺碧の海に我が子と共に身を投げることなど
我々には想像もし難い事実であります

平和な次代を残す為に
日本人としての生き方を示し遺された先人達に
感謝の心と敬慕の念を以ってお報いする為
慰霊の誠を捧げていただければと存じます

散華された『英霊』と戦没者の御霊は
祖国に帰り靖國神社にお祀りされております
そして幸せに元気よく今の世を生きている
『あなた』を見守っていて下さいます

帰国後は、この島のこの場所であなたが感じた
見渡す限りの大空と大海原の美しさを
靖國に鎮まる御霊にあなたらしく伝えていただければと願います」

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これは、北マリアナ諸島テニアン島に
長野県神道青年会(県内40歳までの神職)が建てた
慰霊施設内の碑に刻んであります碑文です。

あれは平成13年
私が長野県神道青年会の事務局長を務めていた年
当時の会長が「テニアン島に慰霊碑を建てたい」
と言っているといった噂を耳にしました。

周りの反応は「NO!」
恥ずかしながら
当時の私も「テニアン島」という名前すら聞いたことが無く
もちろんそこでの史実も知らず
「なにも遠く離れた外国に慰霊施設を建てなくても」
という思いで、大方の意見と同じでした。

事務局長といえば
会長の命を受け事務を遂行する役目である
と理解はしていましたが
会員の生の声を伝えることも大切であると
会議に先立ち、個室で
率直に反対意見を述べさせていただきました。

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(上空から見たサイパン島)

すると会長は、穏やかに口を開き…
自分は、消防団員時代に何度かテニアン島を訪れた…
そう言ってテニアン島また
我が長野県に縁のある松本50聯隊について話し始めました。

テニアン島とは…

テニアン島は
北マリアナ諸島サイパン島の8㎞南に位置する島
現在はアメリカ合衆国の自治領となっています。

テニアン島はその昔スペイン領からドイツ領となり
第一次世界大戦でのドイツ敗北により、日本領となりました。

日本の統治下となってから
初めてテニアン島が開発されることとなり
当初4人の日本人が移住し開発を初めてから
最高時の1944年6月当時は1万5千人以上(軍人を除く)が
砂糖の生産や鰹節製造業などを営みながら生活をしていました。

松本50聯隊(歩兵第50聯隊)は
明治38年(1905年)に編制され
同年明治天皇より「我が帝國を保護せよ」との勅語と共に
軍旗を親授されました。

大東亜の戦局に暗雲が漂い始めた昭和19年(1944年)
御前会議において
「日本帝國が、戦時目的を達する上に絶対確保を要する圏域」
として、硫黄島・トラック島と並び
マリアナ諸島(グアム・サイパン・テニアン)が
国家防衛の最重要地域として認識され
50聯隊を主力とする29師団にマリアナ守備の勅命が下りた時
師団長高品彪氏は「我、身を以って太平洋の防波堤たらん」
と奉答し、以後、50聯隊はこの言葉を誓詞と掲げ
島の死守を決意しました。

6月、米軍の攻撃が始まり、サイパン島が陥落すると
攻撃目標がグアム・テニアン島へと移り
装備の無い守備隊は総反撃も虚しく
島への上陸を許してしいます。

陸海あわせて約8千人のテニアン守備隊も
上陸から僅か2日で主力部隊は壊滅、2千人の戦力となり
神社を拠点とした司令部も
北のラソー神社から南の住吉神社に後退していきました。

8月1日午後6時55分
米軍のテニアン占領宣言が発表されると、同日深夜
50聯隊・第17代聯隊長緒方敬志氏の手により
編制より守られてきた軍旗が奉焼され
翌日の玉砕攻撃へ向けて準備が整えらました。

残された日本人は兵隊のみならず一般人までもが
捕虜になることを頑なに拒み
スーサイドクリフより身を投げ自決
紺碧の海がひととき血の色に染まったといいます。

子を持つ一般人は、泣きながら子供等の背を押し
後を追い身を投げたといいます。

そして1年後の8月6日、この島から広島に向かって
原爆を積んだエノラ・ゲイが飛び立つ事となったのです。

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(スーサイドクリフ断崖を上から撮影)

会長「それは綺麗な島なんだよ。
海なんか、透き通るほどのコバルトブルー。
そこで、戦時中は悲しい悲しい出来事があったんだ。
岬から我が子の背を押して
その後を追い飛び込み自殺をするなんて
今の時代は考えられないだろ?」

「・・・」

会長「その島は、今でこそ
ダイビングスポットとして有名な観光地で
日本人観光客が多く遊びに行く観光名所になっているんだよ。
でも俺は、その岬に立ったら涙が止まらなかったんだ。」

「・・・」

会長「でもな、そんな悲しい出来事があったことなんて
知らない若者が多いんだ。
俺は一緒に行った消防団員には、手を併せるよう説明したよ。
でも、その岬にある慰霊施設はすべて仏教や他宗教のもので
神道の慰霊施設がないんだよ。
だから、我々長野県神道青年会で
そのスーサイドクリフに神道式の慰霊碑を建てたいと思うんだ。」

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(慰霊施設建設予定地)

私は、この時ほど
自分の無知さを恥じたことはありませんでした。

何も知らずに
ただただ反対していた自分を恥ずかしく感じると共に
この時から
まだ見ぬテニアン島に想いを馳せる日々が始まりました。

テニアン島に関する書物を読みあさり
yahooオークションに「テニアン島」でアラートをかけ
写真集や情報誌を買い読みあさりました。

その後の会議では、会長が長時間に渡り
テニアンでの史実や
会長が慰霊碑建立を思い立ったに至る経過を説明し
まずは現地へ行き、現地調査をしっかりした上で
土地の確保など建立することが可能か否かを
調べなければならない…と言うことになり
旅行業者に間に入っていただき
北マリアナ連邦の議員さんや
テニアン市の役員さんとお会いするべく
現地に飛ぼうということとなりました。

それが平成13年の話しです。

松本50聯隊は、編成地は長野県の松本でしたが
実際は愛知や岐阜の隊員が多かったと聞いています。

現在、その編成地である松本の兵営跡地は
信州大学のキャンパスとなっています。

我々の暮らす長野県に縁のある
「松本50聯隊」が玉砕した地に想いを馳せ
平成14年3月、9名の会員が
テニアンへ視察調査に飛び立ちました。

2月といえば、まだまだ日本は真冬
零下の日本から30℃以上のサイパンへ
サイパン国際空港で我々を迎えてくれたのは
常夏の暑さと灼熱の日差しでありました。

我々の目的は
「大東亜戦争を中心とした英霊並びに戦歿者に対する
慰霊顕彰事業を当会の継続事業として位置付ける為
戦跡である北マリアナ諸島の現地に於いて
当時の史実を考察し慰霊と顕彰の実情を把握することによって
より有意義な事業活動の展開に資するため。」…ということで
出迎えのバスに乗り
サイパン初上陸(私は)の喜びに浸る間もなく
取るものも取らずといった形で
まずはサイパン島のバンザイクリフへと向かいました。

車中からは「ラストコマンドポスト」と呼ばれる
サイパン島での最後の日本軍司令部跡や
艦砲射撃により傷付けられた岩肌が見え
ここでの惨事を物語っていました。

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(艦砲射撃のあとが残る岩肌)

サイパン島バンザイクリフで慰霊祭をするべく
一同は日本から持ち寄った荷を解き
祭壇を組み竹を立て斎場を設営しました。

まだ日本とサイパンの温度差に体が慣れていないにも関わらず
汗を拭うのも忘れたかのように一同は無言で準備しました。

焦げそうな陽射しと
押し寄せては岩壁にぶつかり砕ける波の音に包まれて
慰霊祭の御奉仕をしました。

バンザイクリフを目の前にして
祭詞奏上の間そこでの史実を脳裏に繰り返し
綺麗な海・空・景色とのギャップに涙が溢れ
その涙は汗と共に足元に落ち、大きな跡が出来ました。

祭典と後片付けを済ませ、サイパン戦跡を巡りホテルに帰り
慌ただしく一日を振り返る暇もなく
明日テニアン島へ向かう準備と打ち合わせを済ませました。

2日目、サイパン島チャーリードック港よりフェリーで
今旅の最大の目的地でありますテニアン島へ向かいました。

約1時間して、テニアン島に着き
まずはテニアン島の戦跡を巡り
最終目的地「スーサイドクリフ」へと向かいました。

テニアン島での慰霊祭斎行の場所であるこの岬
昨日のサイパン島バンザイクリフで感じた想い
波の音、海の色、同じ雰囲気を感じました。

会長の話にあったように
岬に建立されている多くの慰霊碑の中には
神道系のものはありませんでした。

一通りの視察を終えて慰霊祭の準備をし
皆モノも言わず慣れた手つきで準備を終え
テニアン島スーサイドクリフでの慰霊祭も終えました。

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(視察調査時の、慰霊祭の様子)

2日間、2つの慰霊祭を終え
今回のもう1つの目的であります
「北マリアナ連邦やテニアン市の役員さん訪問」
果たして、現在はアメリカ領となっているテニアンで
私たちのようなもの達と会っていただけるのでしょうか…。

そんな不安を胸に、マリアナ政府観光局を訪ねました。

幸いにもマリアナ政府の議員さんとお話しをすることが出来
しかもテニアン市長さんともお会いすることが出来
直接我々の想いをお話しさせていただくことが出来
そして当初の目的に対し大きな成果を収めることが出来ました。

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(テニアン島内…車窓から)

帰国後9名の会員は
仲間にサイパン島・テニアン島での想いを伝えました。

「様々な宗派で建った碑又個人で建った碑は数多くあれど
これだけ日本人の観光客の多い中に誰もが自由に参拝し
手をあわせる場所が無いことに寂しさを覚えた」

「年老いた父母や愛する妻子を故国に残し
御国の為尊い命を捧げられた英霊等の心に応えるためにも
慰霊碑建立の早期実現と慰霊の心が
未来永劫受け継がれていくことを切に希望する」

これらは、参加者が帰国後書いた感想文から抜粋したものですが
参加者は現地で慰霊祭を斎行し
現地の空気を肌で感じ当時に想いを馳せることで
現在の平和を改めて強く感じることが出来たことや
慰霊碑は幾つも建ち並んではいるけれども
実際この場で何があったのか説明するものが何も無いことなど
それぞれに慰霊碑建立の必要性を伝えることで
慰霊碑を建立する方向で議論を進めることになりました。

どんなものを建立するか決める傍ら
仲介の旅行業者を通して現地政府と土地確保の交渉を進め
視察時に慰霊施設建立に最適と下見をした場所を申請しました。

役員会では、慰霊碑ではなく
どうせなら神社(祠)を建てたらどうか?
など様々な意見が飛び交いました。(続く)

続きは明日♪
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北マリアナ諸島戦歿者慰霊顕彰事業♪

2016 - 05/22 [Sun] - 14:25

今年も行ってきました「北マリアナ諸島戦歿者慰霊祭」

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5月16~19日までの3泊4日の旅
実際には成田に前泊しますので4泊5日
参加者の中には後泊する人もいますので5泊6日の人も…
今年は、御柱の年ということもあり諏訪からの参加者は0
少数精鋭12名で慰霊団を組織し行って参りました。

私たちは飯田のM親子と12時45分くらいに駒ヶ根を出発
娘と同い年(年長さん)ということで車の中から和気藹々
楽しく出発しました。

今回は車3台に分かれ木曽号・塩尻号・駒ヶ根号
そして1人は長野から新幹線で合流ということでしたが
駒ヶ根号も休憩無しに湾岸幕張サービスエリアまで
そこで先に出発していた木曽号と塩尻号に追いつきホテルへ
ホテルは今年も成田ビューホテル
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自動車で成田入りした11名はビュッフェで前夜祭
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9時前には新幹線組も合流して打ち合わせをしました。
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朝は7時にロビー集合、シャトルバスで成田空港へ
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出国手続きもスムーズに行われ、いつものデルタ航空機に搭乗
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月曜日から長野は天気が良くないといった予報でしたが
空の上は快晴、搭乗時間は約3時間半
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時差は1時間、時計の針を1時間進めてサイパン到着!
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あいにく韓国便と到着が重なり
1時間半以上も出国に時間がかかり…来年は
必ずエスタを入手しようと決意しました。

昨年までは、サイパン空港到着後セスナに乗り継ぎテニアン島へ
といった行程でしたが、昨年の台風直撃の影響か
テニアン島随一のホテル「ダイナスティ」が休業とあり
今年は、サイパンに3連泊ということで「フィエスタ」に移動
当旅行も15回目ともなれば色々な行程を経験しました。

以前はセントレアから夜中にサイパン入りしていましたので
今年のようにサイパン3連泊し、日帰り慰霊祭した年
慰霊祭後にテニアン島に泊まった年も
昨年までのようにテニアン泊後に慰霊祭をした年もありました。

今後、どの様にするかは反省会後に決めていきたいと思います。

とりあえず、今年は参加申込後に行程変更をやむなくされ
「フィエスタ」にチェックインしたのは夕方
ビーチででトロピカルジュースをつまみ?にブランデー
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早速に南国気分を満喫♪
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夕食は日本にもあるチェーン店「カプリチョーザ」
セットメニューはサラダにパスタにデザートと聞き
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お酒のつまみにチキンとピザを2皿ずつ…
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とお願いしたのが間違いでした(>_<)
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パスタはラーメンどんぶりのような大きさの器に盛られ
ピザはドラム缶の蓋のような容器に(苦笑)
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皆、はち切れんばかりのお腹を抱えて帰ったのは
言うまでもありませんが、ホテルで明日の慰霊祭の習礼をし
荷物など確認し合って就寝しました。

【2日目】
朝食後8時にピックアップ
サイパン空港からセスナでテニアン島へ渡ります。
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昨年14年目にして初めて乗った10人乗りセスナ
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今年も、行き帰り共に10人乗り
2人のパイロットと8人の乗客
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安定感も抜群!
私たち以外の観光客はロタ島へ行ったのでしょうか?
テニアン島へは、ほとんど私たちだけだったように思います…
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テニアン空港からは、昨年よりお世話になっている現地邦人
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テニアンエクスプレスの鈴木さんの車でスーサイドクリフへ
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快晴の陽射しの元、現地で預かってもらっている荷を広げ
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少数精鋭準備を整えて着装、私は今年「伶人」龍笛を担当
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斎主は飯田のM氏にお勤めしていただきました。
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昨年に引き続き参加していただいた遺族代表Y氏に碑文朗読を
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玉串は斎主と遺族代表に参列者代表が奉奠
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5月慰霊祭になってからはスコールにも見舞われること無く
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今年も、遠くで雷が鳴ってはいましたが降ることも無く
陽射しは相変わらず熱い中、終始そよ風が吹いていて
とても爽やかな祭典になりました。
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M氏の娘さん以外は皆、過去に参加したことのあるメンバー
準備から着装、祭典から片付けまでスムーズにこなし
恒例の?記念撮影♪
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今年は日帰り、少し時間の無い中ではありましたが
島内を観光…テニアンブルーと呼ばれる透き通った海
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その昔、ポカリスエットのCM撮影が行われたそうです。
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昨年まで泊まっていたホテルの裏にありながら
初めて見た原爆模型「リトルボーイ」と「ファットマン」
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ウラン型の「リトルボーイ」とプルトニウム型の「ファットマン」
こんな小さなものに、あれだけの破壊力があるなんて…
改めて原爆の怖さを感じたときでもありました。

昨年8月の台風直撃を受け
サイパン島ではライフラインが数ヶ月にわたりストップ
なぜか日本国内では大きく報道されることが無かったのですが
観光客も激減、その影響かダイナスティホテルは営業停止
どうやら税金も数十億未払いということで
カジノのライセンスも剥奪され
現体制では復活は無理ではないかとの見通しのようです。

それでも、海岸を走っているとなにやら工事中…
外壁には完成予想図の写真が貼ってあり
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カジノホテルが建設中とのこと
以前もテニアン島内の建設工事現場で
同じような光景があったのを覚えていますので
あのときのように頓挫しないことを願うばかりではありますが
明るい話題?もあるようでした。
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こちらも初めての場所「ドンニーのマリア様」
戦時中は野戦病院として使われていたそうですが
今では信心深い現地住民の心の拠り所となっているようです。

最後に、こちらもテニアン島では初めて寄る現地のスーパー
どんな物が売られているのかとても興味がありましたが
サイパンとそう変わりませんでした…しかも
基本サイパンから送られてきますから輸送費分が高いとのこと…
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帰りも10人乗りセスナ機
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5~6人乗りが軽自動車なら、こちらは中型ハイエース
安定感が違います…たった10分弱ではありますが
安定感が有るに越したことありません(笑
空から見る海も、それはそれは綺麗でした♪
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この時期の慰霊旅行ならではなのは「南洋桜」
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正式名称はフレームツリー「火炎樹」
今年は花が咲くのが遅い…という話もありましたが
昨年の台風で枝が折れ木が弱っているといった話もありました。

この「南洋桜」が咲き誇った年は台風が多い…
という話しを5月慰霊祭になった年から聞いていましたが
昨年はまさに、これでもかというくらいに咲き誇り
その後、台風直撃であったそうですから
日本も同じ、昔からの言い伝えを心に備えなければなりません。
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また、沖に停泊しているのはアメリカ軍の船
現地の人は、こちらも台風の目安にしているそうで
船が引き上げると台風が来る合図なんだとか…

昼食時間は過ぎていましたが、ホテルに帰ってランチ
このカレーは絶品でした♪
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夜は、ハピネス中華で直会をして
こちらもサイパンでは必ず寄らせていただくお店
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昼間はこんな感じ、サメが目印の「ダダラック」
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店主のMさんに、3日間とも車をお借りしました(感謝♪

【3日目】
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朝食後、お借りした車で島内巡り!
もう毎年のコースですので地図なんて要りません…
ああ、威張って言うほど難しい島ではないのですが
物覚えの悪い私ですから(汗
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先ずはラストコマンドポスト
日本軍の最後の司令部跡といわれているところで
日本政府によります戦歿者の碑がありますが
その手前に新しく石碑が出来ていました。
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(覚えていませんでしたが、昨年はこんな感じでした)
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同じく、その後行ったバンザイクリフにも建っていました。
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昨年、私たちが帰った後に除幕されたようです。
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バンザイクリフから見渡す海は紺碧そのもの
次に行くサイパン島のスーサイドクリフを下から見ると…
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上から見ると…
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サイパンの秘境といわれた「グロット」
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急勾配な階段を降りていくと、そこには
外洋から差し込む光が神秘的に輝いて幻想的な景色が広がり…
と、以前はそんな感じだったのですが
中国人観光客が大人数で陣取り、幻想的にはほど遠く(苦笑
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最後に、バードアイランドを見て帰って来ました。
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帰ってくる途中、地元のスーパーに寄り
会員へのお土産や、友人へのお土産を物色
地元の方が行くスーパーに寄るのが楽しみとなっています♪

昼食は、これまた毎度のカントリーハウスでステーキ
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子供たちはプールで遊び、私はお昼寝タイム♪
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夕食は、初の試み「サンセットBBQ」
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アクアリゾートクラブサイパンへ移動しBBQ
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目当てはグリーンフラッシュと呼ばれるサンセット
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太陽が海に沈む際に、一瞬だけ緑色に光る現象のことで
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これを見ると幸せになると言われているんだそうで…

ま、結果見られなかったんですけれど
この景色というか光景は、どれをとっても絵はがきになるような
そんな綺麗なシチュエーションでした。
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サンセットもさることながら、南国特有の
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ダンサーによるポリネシアンショー
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10歳と5歳くらいの男の子によるショーも圧巻でした。
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最後に記念撮影も♪
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【最終日】
最後の日は、ゆっくりしたいという人もいるのではと朝食を外し
私たちは「SUBWAY」で朝食
娘は、5日通して、ここで食べたハムチーズサンドが一番
だと言ったのは内緒です(苦笑。

そしてお買い物
しかしながら10時からでないとお店が開かないということで
アメリカンメモリアルパークへ
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数年ぶりに入りましたが、展示も新しくなり
どうしてもアメリカサイドの展示とはなっていますが
歴史の勉強にはもってこいです。
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免税店で買い物の後、昼食は日本の方がオーナーを務める中華
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「大華飯店」へ、さすが…日本人向けの味付け
来年はここで直会を、とのリクエストもいただき
友人に車をお返ししピックアップ
サイパンを後にしました。
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この時間のフライトは私は初めて…
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昨年までは深夜2時に起きて3時にピックアップ
空港で時間をつぶして飛行機の中は熟睡…
といったパターンでしたが、今年は何ともゆっくりゆったり
飛行機の中から富士山も楽しみながら成田に着いたのは6時過ぎ
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木曽組はもう1泊し、私たちはそのまま帰路につき
家に着いたのは深夜12時少し前でした。

なんと言っても、昨年の台風直撃で大きな被害を受けたサイパン
しかしながらそれだけではなくサイパンを取り巻く環境は
刻々と変わっているように思いましたが
変わらないのは史実…
私たちは新しい仲間を連れて
また訪れたいと皆誓い合い分かれました。

来年は、施設建立15周年の節目に当たりますので
新しいことを考えています。

参加希望の方は、是非ご連絡下さいm(_ _)m

来年は何月になるかな~~♪
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テニアンな話し(続き)♪

2015 - 11/06 [Fri] - 06:08

間もなくして、現地から
無償で土地を提供してくれるといった有難い許可が下りました。

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その寸法にあわせ絵を描き

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模型を作るなどして、

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徐々に形が決まってきましたが
大変なのは建立資金をどうするかです。

もともと積立金は少額しかありません…
神社界では東海地区に属する長野県
まずは神道青年東海地区協議会に共催者となっていただくことで
県内はもちろん東海五県の神職さんや神社庁また大きな神社
そして関係業者より寄付していただけるようにと
「趣意書」「企画書」「事業概要書」などを調え
予定図を添えての募財活動が始まりました。

お金が絡んでくると
元からあった外部の反対の声も更に大きくなってきます。

「靖國神社や護國神社があるのに
何で国外へ慰霊碑を建てるんだ?」

「ずっと維持しいくことが出来るのか?」など…

苦言を呈しながら寄付をしていただける方
もちろん苦言だけで寄付していただけない方もいました。

疑問の声や不安の声もある中
応援してくれる方々も数多くいました。

長野県神社庁も後援についていただき
靖國神社からも多額の助成金を戴けることとなり
神社庁また靖國神社公認の事業として着実に慰霊碑建立に向け
会議を繰り返しました。

また、塩尻市の伊藤石材さんからは鳥居を御寄付戴けるといった
有り難いお申し出も戴き
県内外の多くの方々のご理解とご協力により
なんとか目標金額を達成することが出来ました。

そして、いよいよ発注
玉垣に鳥居、台座に御社殿
玉垣・鳥居・台座は石製ですので重く
とても飛行機というわけにはいきませんので船で運び込みます。

御社殿はテニアンの気候を鑑みると
木材製は朽ちてしまう危険性がありますが
あえて木材製を選び、今後朽ちたら新しく…朽ちたら新しく…と
御遷宮に生きる神道の甦りの心を盛り込みました。

また、愛知県神道青年会さんより
岡崎産の御影石で作った狛犬を御奉納戴けるということで

20071008093209.jpg
(現地慰霊施設に建立させていただきました「狛犬」)

更に素晴らしい慰霊施設になるのではと
期待に胸を踊らせていました。

発注したものが完成し
平成15年1月サイパン上陸のための4つの許可
(難しいことはよく分かりませんが)のうち
一番難しかった最後の許可がおり
2月頭にはサイパン、中旬にはテニアンに
石造物が上陸するという知らせがあり
これでなんとか「第1回 北マリアナ諸島戦歿者慰霊顕彰事業」
を行う3月6日に間に合わせることが出来た…

と思ったら・・・

社殿を設置することが出来なくなるような
重大な事件が起こってしまったのです。

と言うのも、ある方より、
今までにない重みのあるお言葉を頂戴したのです。

「スーサイドクリフといったら、
テニアン島の中では1番人目に留まる所。
そこに神道形式のものを建てるのは良いけれども
しっかり維持をしないと、湿気は多いし、台風は多いし
金物は現地の人が盗っていってしまうし…。
現地には中国や韓国の人が多いから
社殿を置くと射撃の的にされてしまうこともある。
管理人を常駐させるなり
相当な覚悟で行ってもらわなければ困る」と。

ある方とは、県外の神主さんで
数十年前より南洋の島々で慰霊活動を行っている方で
当サイパン島・テニアン島でも遺骨収集活動や
「サイパン神社」「テニアン神社」の復興はもとより
政府の要人とも深くお付き合いがある方で
これまで苦言を戴いた方々とは比べものにならない意見
既に各島々で慰霊活動を行っている方からの
生の助言と捉えさせていただき、早速に会いに行き
更なるご助言を素直に聞き入れ
3月の慰霊祭に先立ち再度視察をするべく4人が現地へ飛び
最終確認をし、玉垣と説明板だけを建立して当日に備えました。

慰霊碑建立という話しが持ち上がってから2年弱
という短い期間で、準備不足の面も否めませんが
なんとか慰霊祭を斎行出来るまでに整いました。

たった一回だけの事前視察で
見落としてきたことも沢山有りましたが
有り難いご助言に寄りまして事前に対処することが出来
これからまた調査をする中で
残りの施設(鳥居と狛犬)を建てることにして現地に保管し
社殿は、最近中国人や韓国人が多く訪れるので
壊される可能性が多く、また屋根が銅葺きであり
現地の人に壊され盗られる危険性を多く孕んでいるということで
当面は神籬祭祀(当日御霊をお迎えし祭典)で
慰霊祭を行うこととしました。

20071009100247.jpeg
(平成15年3月現在)

慰霊団も、当初計画の100名とまではいきませんでしたが、
県内外より多くの参加者が集まりました。

当日は、始めにテニアン神社で奉告祭を行い

20071009100324.jpg
(テニアン神社での奉告祭)

引き続きスーサイドクリフで慰霊祭を斎行しました。

20071009100340.jpg
(平成15年度 慰霊祭)

2年目には、鳥居と台座
また愛知県神道青年会寄贈の狛犬も設置され
一段と厳かな祭典が出来るようになりました。

20071009100403.jpg
(平成16年2月の現地)
20071009101801.jpg
(平成16年 慰霊祭)

しかしながら、維持していくことは大変です。

月々の維持管理費用も
もともと資金のない神道青年会独自で守り続けていくことが
どこまで出来るかわかりませんが
現在では、神道青年東海地区協議会が
維持費分ほどの助成金を毎年補助して下さっています。

しかし、予期しなかった出来事も起こります。

20071009100635.jpg

北マリアナ諸島は、台風の通り道
ある強い台風で説明碑が倒れ壊れてしまったのです。

また、ある年には、近くにある慰霊施設が
中国人により破壊されたという報道があり
周囲2~30メートル四方の施設が壊された…
という報道でしたので
すぐ現地に電話をしたこともありました。

また、一般の渡航者より、尾が欠けている狛犬の写真を
(WBCの腹いせ…という説をつけて)
送ってもらったこともありました。

それでも私たちは、続けることが出来る限り当施設を守り
ここでの史実を、テニアン島に来る人々に伝えることで
これからの日本を支えて行くべく若者達に
先人への感謝の心を持ち続け
慰霊の誠を捧げてもらいたいと切に願っています。

その島で遊んではいけないということではありません…
碑文にもありますように
「幸せに元気よく今の世を生きている
『あなた』を見守っていて下さいます」のように
この島を訪れて元気よく遊んでいる姿を見せることも慰霊です。

ただ、元気で遊べる「今」があるのは
御先祖様のお陰であることを忘れないように
または時々にでも思い出してもらうきっかけとなり
そして靖國神社、または護國神社、招魂社、招魂碑
仏壇や神棚に手を併せてもらえれば…。

20071010094543.jpg

実のところをお話ししますと
建立から10年以上経ち
長野県神道青年会にも建立当時の会員が少なくなり
当初の建立理由など知らない人がほとんど
当慰霊施設を維持していくのが大変…という声も多く
今後の在り方を検討している時期でもあります。

しかし、出来る限りは維持し続けていっていただきたい…
毎年の慰霊祭も続けていっていただきたい…
神道青年会員は、やがて定年を迎え卒業していってしまうけれど
神道青年会には必ず新しい会員が入り
新しい組織として存続していく組織であり
私たち個人個人はいずれ死んでいなくなってしまうけれども
未来、将来のことを考えると神道青年会という組織で
当施設を、当慰霊事業を続けていっていただくのが理想
そして、後輩達には同じ気持ちであって欲しいし
同じ気持ちをまだ見ぬ後輩達にも伝えていって欲しい
そう、思っています…広く、全国の同志達にも…。

20071010094603.jpg

当初は、我々神職やその家族だけではなく
遺族の方々や一般の方々にも参加していただきたいと
計画をしていましたが
日帰りで行けるような場所でもありませんし
それ相当のお金も日数もかかりますので
なかなか慰霊団の参加者も増えませんが
もし皆さんが他の旅行でテニアン島を訪れたら
是非スーサイドクリフへ行っていただきたいと思います。

たまたまテニアンへ観光で渡る方も多くいますが
スーサイドクリフへ行くと
必ず目に留まる場所に施設はありますし
説明板も見ていただけることと思います。

当初、奉告祭を斎行していた「テニアン神社」ですが
10年前とはサイパン・テニアンの諸事情も大きく変わり
サイパン-テニアン間に行き来していたフェリーはなくなり
日本-サイパン便の飛行機もセントレア発着がなくなり…など
時間的な制約もありここ数年斎行されておりませんが
機会があれば是非お参りして下さい。

サイパンへは行ったことがある人が多くいると思いますが

20071010094617.jpg

(今では乗ることの出来ないフェリー)

サイパンからセスナで飛行時間は約10分

20071010095216.jpg

サイパンのマニャガハ島も綺麗ですけれど
是非もう一歩足を伸ばしてテニアン島へ出かけてみて
そして史実に触れてみて下さい。

昔、この場所で何が起きたのか
本当は自分でお調べいただくのが一番ですが
私も経験があるように
それをするのはよほど興味を持ったときしかできません(汗

繰り返しになりますが、日本領であった頃
私たちの先々代の年代の方々が
この地に1万人以上も定住されていました。

戦争でアメリカに占領されることとなり
島の端へ端へと追いやられ
水不足の孤島ですから
真夜中に井戸へ水を飲みに行ったところを
後ろから銃撃されるなどしていましたから
捕まれば何をされるか分からないといった状況の中
捕虜になるくらいなら死んだ方が良い…と判断した島民が
サイパン・テニアンそれぞれの岬から
子供たちの背を押し後を追って自決しました。

「クリフ」というのは「岬」のこと
それぞれの岬から「天皇陛下万歳」を叫びながら飛び降りた
そのことから名付けられている「バンザイクリフ」
また「スーサイド(自決)クリフ」といった名前なのです。

20071011101356.jpg

くどいようですが、それはそれは美しい岬
紺碧の海と青い空そして白い波しぶき
その景色を見て昔そんなことがあったなんて
誰が想像できるでしょうか?

今の平和な日本、そしてテニアンがあるのも
そこで戦いその時を生きた
先人の皆様のご苦労ご尽力の賜物なのです。

テニアンだけでなく、グアムや硫黄島、中国やアジアの国々
日本本土ももちろん沖縄でも
その時を生きた
我々の御先祖様がいて今があるのです。

20071011103139.jpg

テニアンは遠くて行くことが出来ないかも知れませんが
靖國神社、各県護國神社や各郡市部招魂社
その近くをお通りになられましたら
このお話しを思い出していただき
ちょっと足を伸ばして寄っていただき
お参りしていただければ幸いに存じます。

戦争でお亡くなりになられた皆様の御霊安かれと
心よりお祈り申し上げます。。。

20071011102256.jpg

今年度の慰霊旅行は…
平成25年2月25日(月曜日)~28日(木曜日)
毎年行われていますので、一緒に行っていただける方は
私までご連絡をお願い致します。

駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました♪

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テニアンな話し♪

2015 - 11/05 [Thu] - 06:37

毎年行っています、テニアン島の慰霊祭のお話です♪

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「この大空と大海原に馳せる想い
       ~日本からこの地を訪れたすべての人々へ~

あなたの純真な心に純粋に美しく映える
この見渡す限りの大空と大海原が
ひととき悲しみに曇り涙に霞んだ真実を
忘れること無く後世に伝えて欲しいと願います・・・

大東亜戦争当時
日本を遠く離れこの島を含め南洋の多くの島々で戦没された
軍人兵士『英霊』や
運命を共にされた当時の在留邦人の多くは
国家防衛と国民平安の為に尽くされ
祖国の永続と民族の永遠とをひたすらに願い
尊い命を捧げられました

激戦の果てに行き場を失い日本民族の誇りに懸けて
この断崖から紺碧の海に我が子と共に身を投げることなど
我々には想像もし難い事実であります

平和な次代を残す為に
日本人としての生き方を示し遺された先人達に
感謝の心と敬慕の念を以ってお報いする為
慰霊の誠を捧げていただければと存じます

散華された『英霊』と戦没者の御霊は
祖国に帰り靖國神社にお祀りされております
そして幸せに元気よく今の世を生きている
『あなた』を見守っていて下さいます

帰国後は、この島のこの場所であなたが感じた
見渡す限りの大空と大海原の美しさを
靖國に鎮まる御霊にあなたらしく伝えていただければと願います」

20071003100028.jpg

これは、北マリアナ諸島テニアン島に
長野県神道青年会(県内40歳までの神職)が建てた
慰霊施設内の碑に刻んであります碑文です。

あれは平成13年
私が長野県神道青年会の事務局長を務めていた年
当時の会長が「テニアン島に慰霊碑を建てたい」
と言っているといった噂を耳にしました。

周りの反応は「NO!」
恥ずかしながら
当時の私も「テニアン島」という名前すら聞いたことが無く
もちろんそこでの史実も知らず
「なにも遠く離れた外国に慰霊施設を建てなくても」
という思いで、大方の意見と同じでした。

事務局長といえば
会長の命を受け事務を遂行する役目である
と理解はしていましたが
会員の生の声を伝えることも大切であると
会議に先立ち、個室で
率直に反対意見を述べさせていただきました。

20071004140400.jpg
(上空から見たサイパン島)

すると会長は、穏やかに口を開き…
自分は、消防団員時代に何度かテニアン島を訪れた…
そう言ってテニアン島また
我が長野県に縁のある松本50聯隊について話し始めました。

テニアン島とは…

テニアン島は
北マリアナ諸島サイパン島の8㎞南に位置する島
現在はアメリカ合衆国の自治領となっています。

テニアン島はその昔スペイン領からドイツ領となり
第一次世界大戦でのドイツ敗北により、日本領となりました。

日本の統治下となってから
初めてテニアン島が開発されることとなり
当初4人の日本人が移住し開発を初めてから
最高時の1944年6月当時は1万5千人以上(軍人を除く)が
砂糖の生産や鰹節製造業などを営みながら生活をしていました。

松本50聯隊(歩兵第50聯隊)は
明治38年(1905年)に編制され
同年明治天皇より「我が帝國を保護せよ」との勅語と共に
軍旗を親授されました。

大東亜の戦局に暗雲が漂い始めた昭和19年(1944年)
御前会議において
「日本帝國が、戦時目的を達する上に絶対確保を要する圏域」
として、硫黄島・トラック島と並び
マリアナ諸島(グアム・サイパン・テニアン)が
国家防衛の最重要地域として認識され
50聯隊を主力とする29師団にマリアナ守備の勅命が下りた時
師団長高品彪氏は「我、身を以って太平洋の防波堤たらん」
と奉答し、以後、50聯隊はこの言葉を誓詞と掲げ
島の死守を決意しました。

6月、米軍の攻撃が始まり、サイパン島が陥落すると
攻撃目標がグアム・テニアン島へと移り
装備の無い守備隊は総反撃も虚しく
島への上陸を許してしいます。

陸海あわせて約8千人のテニアン守備隊も
上陸から僅か2日で主力部隊は壊滅、2千人の戦力となり
神社を拠点とした司令部も
北のラソー神社から南の住吉神社に後退していきました。

8月1日午後6時55分
米軍のテニアン占領宣言が発表されると、同日深夜
50聯隊・第17代聯隊長緒方敬志氏の手により
編制より守られてきた軍旗が奉焼され
翌日の玉砕攻撃へ向けて準備が整えらました。

残された日本人は兵隊のみならず一般人までもが
捕虜になることを頑なに拒み
スーサイドクリフより身を投げ自決
紺碧の海がひととき血の色に染まったといいます。

子を持つ一般人は、泣きながら子供等の背を押し
後を追い身を投げたといいます。

そして1年後の8月6日、この島から広島に向かって
原爆を積んだエノラ・ゲイが飛び立つ事となったのです。

20071005085657.jpg
(スーサイドクリフ断崖を上から撮影)

会長「それは綺麗な島なんだよ。
海なんか、透き通るほどのコバルトブルー。
そこで、戦時中は悲しい悲しい出来事があったんだ。
岬から我が子の背を押して
その後を追い飛び込み自殺をするなんて
今の時代は考えられないだろ?」

「・・・」

会長「その島は、今でこそ
ダイビングスポットとして有名な観光地で
日本人観光客が多く遊びに行く観光名所になっているんだよ。
でも俺は、その岬に立ったら涙が止まらなかったんだ。」

「・・・」

会長「でもな、そんな悲しい出来事があったことなんて
知らない若者が多いんだ。
俺は一緒に行った消防団員には、手を併せるよう説明したよ。
でも、その岬にある慰霊施設はすべて仏教や他宗教のもので
神道の慰霊施設がないんだよ。
だから、我々長野県神道青年会で
そのスーサイドクリフに神道式の慰霊碑を建てたいと思うんだ。」

20071005085856.jpg
(慰霊施設建設予定地)

私は、この時ほど
自分の無知さを恥じたことはありませんでした。

何も知らずに
ただただ反対していた自分を恥ずかしく感じると共に
この時から
まだ見ぬテニアン島に想いを馳せる日々が始まりました。

テニアン島に関する書物を読みあさり
yahooオークションに「テニアン島」でアラートをかけ
写真集や情報誌を買い読みあさりました。

その後の会議では、会長が長時間に渡り
テニアンでの史実や
会長が慰霊碑建立を思い立ったに至る経過を説明し
まずは現地へ行き、現地調査をしっかりした上で
土地の確保など建立することが可能か否かを
調べなければならない…と言うことになり
旅行業者に間に入っていただき
北マリアナ連邦の議員さんや
テニアン市の役員さんとお会いするべく
現地に飛ぼうということとなりました。

それが平成13年の話しです。

松本50聯隊は、編成地は長野県の松本でしたが
実際は愛知や岐阜の隊員が多かったと聞いています。

現在、その編成地である松本の兵営跡地は
信州大学のキャンパスとなっています。

我々の暮らす長野県に縁のある
「松本50聯隊」が玉砕した地に想いを馳せ
平成14年3月、9名の会員が
テニアンへ視察調査に飛び立ちました。

2月といえば、まだまだ日本は真冬
零下の日本から30℃以上のサイパンへ
サイパン国際空港で我々を迎えてくれたのは
常夏の暑さと灼熱の日差しでありました。

我々の目的は
「大東亜戦争を中心とした英霊並びに戦歿者に対する
慰霊顕彰事業を当会の継続事業として位置付ける為
戦跡である北マリアナ諸島の現地に於いて
当時の史実を考察し慰霊と顕彰の実情を把握することによって
より有意義な事業活動の展開に資するため。」…ということで
出迎えのバスに乗り
サイパン初上陸(私は)の喜びに浸る間もなく
取るものも取らずといった形で
まずはサイパン島のバンザイクリフへと向かいました。

車中からは「ラストコマンドポスト」と呼ばれる
サイパン島での最後の日本軍司令部跡や
艦砲射撃により傷付けられた岩肌が見え
ここでの惨事を物語っていました。

20071006092953.jpg
(艦砲射撃のあとが残る岩肌)

サイパン島バンザイクリフで慰霊祭をするべく
一同は日本から持ち寄った荷を解き
祭壇を組み竹を立て斎場を設営しました。

まだ日本とサイパンの温度差に体が慣れていないにも関わらず
汗を拭うのも忘れたかのように一同は無言で準備しました。

焦げそうな陽射しと
押し寄せては岩壁にぶつかり砕ける波の音に包まれて
慰霊祭の御奉仕をしました。

バンザイクリフを目の前にして
祭詞奏上の間そこでの史実を脳裏に繰り返し
綺麗な海・空・景色とのギャップに涙が溢れ
その涙は汗と共に足元に落ち、大きな跡が出来ました。

祭典と後片付けを済ませ、サイパン戦跡を巡りホテルに帰り
慌ただしく一日を振り返る暇もなく
明日テニアン島へ向かう準備と打ち合わせを済ませました。

2日目、サイパン島チャーリードック港よりフェリーで
今旅の最大の目的地でありますテニアン島へ向かいました。

約1時間して、テニアン島に着き
まずはテニアン島の戦跡を巡り
最終目的地「スーサイドクリフ」へと向かいました。

テニアン島での慰霊祭斎行の場所であるこの岬
昨日のサイパン島バンザイクリフで感じた想い
波の音、海の色、同じ雰囲気を感じました。

会長の話にあったように
岬に建立されている多くの慰霊碑の中には
神道系のものはありませんでした。

一通りの視察を終えて慰霊祭の準備をし
皆モノも言わず慣れた手つきで準備を終え
テニアン島スーサイドクリフでの慰霊祭も終えました。

20071006093036.jpg
(視察調査時の、慰霊祭の様子)

2日間、2つの慰霊祭を終え
今回のもう1つの目的であります
「北マリアナ連邦やテニアン市の役員さん訪問」
果たして、現在はアメリカ領となっているテニアンで
私たちのようなもの達と会っていただけるのでしょうか…。

そんな不安を胸に、マリアナ政府観光局を訪ねました。

幸いにもマリアナ政府の議員さんとお話しをすることが出来
しかもテニアン市長さんともお会いすることが出来
直接我々の想いをお話しさせていただくことが出来
そして当初の目的に対し大きな成果を収めることが出来ました。

20071007063639.jpg
(テニアン島内…車窓から)

帰国後9名の会員は
仲間にサイパン島・テニアン島での想いを伝えました。

「様々な宗派で建った碑又個人で建った碑は数多くあれど
これだけ日本人の観光客の多い中に誰もが自由に参拝し
手をあわせる場所が無いことに寂しさを覚えた」

「年老いた父母や愛する妻子を故国に残し
御国の為尊い命を捧げられた英霊等の心に応えるためにも
慰霊碑建立の早期実現と慰霊の心が
未来永劫受け継がれていくことを切に希望する」

これらは、参加者が帰国後書いた感想文から抜粋したものですが
参加者は現地で慰霊祭を斎行し
現地の空気を肌で感じ当時に想いを馳せることで
現在の平和を改めて強く感じることが出来たことや
慰霊碑は幾つも建ち並んではいるけれども
実際この場で何があったのか説明するものが何も無いことなど
それぞれに慰霊碑建立の必要性を伝えることで
慰霊碑を建立する方向で議論を進めることになりました。

どんなものを建立するか決める傍ら
仲介の旅行業者を通して現地政府と土地確保の交渉を進め
視察時に慰霊施設建立に最適と下見をした場所を申請しました。

役員会では、慰霊碑ではなく
どうせなら神社(祠)を建てたらどうか?
など様々な意見が飛び交いました。(続く)

続きは明日♪
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北マリアナ諸島戦歿者慰霊祭♪

2015 - 07/04 [Sat] - 18:25

報告が遅くなりましたが、今年も先々月
平成27年度「北マリアナ諸島戦歿者慰霊祭」を
テニアン島にて行って参りました♪

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5月17日
大宮五十鈴神社では、これまでに無い
結婚式のダブルヘッダー
午後の結婚式を終え、成田に向けて出発!
日曜日の午後ということで、相変わらずの渋滞
小仏トンネルの大渋滞を抜けたところで
高井戸で19㎞の渋滞という情報があり圏央道へ抜け
少し遠回りをして成田に入りました。

成田では、早くに着いていた仲間達が駅前で前夜祭
今年はこんな写真しか有りませんが…
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昨年同様に成田駅前の「水産酒場『徳三丸』」で一献
今年は諏訪大社から4名の職員を派遣いただきましたが
仕事終わりで長野を出てきますので深夜着…
ホテルの部屋で皆で呑みながら一行を待ちました。

23時、諏訪組がホテルに到着し顔合わせの乾杯♪
とはいえ明日も早いので早々に切り上げて明日に備えました。
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我々の泊まったホテルは「成田ビューホテル」
出発当日も快晴、5月には珍しく太平洋沖には台風7号が発生
奇しくも北マリアナ直撃といった情報もあり
一抹の不安はありましたが
お天気ばかりはどうしようもありません。
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7時20分にホテルロビーへ集合し
今年はチャーターバスで空港へ移動♪
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8時に、神奈川から参加いただくM氏が合流し出国!
ほぼ時間通りにサイパンに降り立ち
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サイパン空港で、兵庫から参加の2人と合流♪
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総勢18人の本年度の慰霊団が集結し
セスナでテニアン空港へと移動しました。

昨年までと大きく違ったのはセスナ機
昨年まで乗っていたのはこれ
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今年、私は14年目にして初めての型
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10人乗りのセスナ機は安定感も安心感も抜群でした!

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テニアン空港では
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昨年まで私たちの面倒を見てくれていたIさんに変わり
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本年度よりお世話になるSさんが出迎えてくれました。
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全員が揃ったところでダイナスティホテルへ移動
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6時30分よりホテル内の日本料理『嵯峨野』で夕食
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今年は、テニアンの市長さんを囲んでの夕食会が実現しました。
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これもSさんのお力によるところが大きく
Sさんは、会った瞬間に「いいひと~」といった感じの方で
これからも心やすくメールでのやりとりが出来そう…
また、今年から海外居住の経験があるFさんが添乗してくれて
市長さんとの会話も、私たちの足りない…
いや全くない英語力をカバーして下さいました。

市長さんご夫妻が夕食会に来ていただけるということで
日本から各自持ち寄ったお土産も喜んでいただき
和やかな夕食会となりました♪

次の朝は、各自着替えてロビー集合
毎年のことですが、宿泊者はほとんど中国の方…ということで
白衣白袴の私たちは変な目で見られながら(苦笑
ロビーに荷物を預けてバスでスーサイドクリフへ移動しました。
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台風が過ぎ去った北マリアナ諸島

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しかしながら日本のように台風一過とはならないようで
台風の尻尾と言われる厚い雲が残り、湿気は90%
2月よりは、まだ増しとはいえ夏前の日本からすると常夏
しかもジメジメ…雲があるとはいえこんな感じ
陽射しはじりじりと私たちの肌を突き刺します。

020.jpg

そんな中、黙々と斎場を整え準備を進めるメンバーたち
風の強いスーサイドクリフにあって
縄で祭壇等を固定しなくて良かった年は
初めてだったかも知れません。

斎場が整った頃到着されたのは…
昨晩の夕食会でテニアン市長さんご夫妻にお越しいただき
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慰霊祭のお話をする中で
市長さんは公務が多忙で出席が適わないけれど
ご夫人が参列していただけるとのことで
時間に間に合わせ参列に来ていただきました。

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私たち奉仕員は、各々着装し整列
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対揖の後に参進し斎場に着きました。

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修祓
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降神
献饌に続き戦時中、南の島独特の水不足に悩まされていたということで
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神籬台の前に設けた献水鉢に

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参加者全員が日本各地より持ち寄った水を献じました。
祭詞奏上
当施設の鳥居横に設置してあります碑文は
日本から当地を訪れた方が、この地で何があったのか
史実を知ってもらうために設置したものですが
祭典の中で、この碑文を朗読しています。
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これまで、参加者の女性の内から朗読していただいていましたが
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今年は初めての大人の男性、諏訪大社のH禰宜さんが朗読
朗々とゆっくり気持ちのこもった朗読は
涙涙…の女性と違い、また胸に来るものがありました。
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そして、今年は終戦70年ということで
なんとか舞を奉納したい…家内に舞を教え込んで
とも考えていたのですが、そんな矢先に
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諏訪大社より巫女さん2名を派遣いただけるという連絡があり
「浦安の舞」の御奉納をいただくべくお願いし実現
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舞の力といいますか、お祭がグッと引き締まり

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巫女さん等も普段以上に緊張した面持ちで
70年の祈りを捧げていただきました。

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国歌「君が代」、「海ゆかば」の奉唱に続き玉串奉奠
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斎主に続き、常若肇國会のK会長
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テニアン市長夫人
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長野県神社庁M参与
ご遺族を代表し、木曽から参加いただいた74歳のYさん
参列者を代表し、神道青年全国協議会B顧問さんに
玉串をご奉奠いただきました。
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撤饌の後に昇神し
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テニアン市長夫人よりご挨拶をいただき退下
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集合写真を撮りました♪
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今年も、昨年同様にスコールに遭わず
暑さは尋常ではありませんでしたが風も無く
そして有意義な祭典が無事に終了することが出来ました。

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祭典後、市長さんより差し入れていただいた椰子の実ジュースは
これまでに飲んだどの椰子の実ジュースより美味しく
私たちの喉を潤してくれました♪

祭典後は、全員で片付けをスムーズに行い
迎えに来てくれたバスに乗り込み、テニアン島内戦跡巡り
10時10分には岬をあとにしました。

車内より「日の出神社跡」を見ながら
潮吹き海岸へ
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日本軍燃料庫跡で
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日本の清水建設の総力を垣間見ながら
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原爆搭載ピットへ
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昨年までと違ったのは…観光客が乗り付けたレンタカーが爆発し
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炎上した跡があったこと(汗
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テロとかではなく、原因不明とのことでした。
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次は、日本海軍司令部跡
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私は初めて中まで入りましたが…
それもそのはず、中は立ち入り禁止とのことでしたが
今は解除されたのでしょうか(汗
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次は「日本海軍テニアン航空隊」の航空管制室
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そしてチュルビーチ
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星の砂と呼ばれる綺麗な砂も採取出来るこのビーチは
米軍上陸の地でもあり錆びた武器などもありました。
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いったんホテルへ戻り、荷物を取ってテニアン空港へ
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今年はガンちゃんレストランがクローズしたため
昼食は各自、空港やサイパンへ渡ってから
好きなものを食べてもらうことにしました。

帰りのセスナも大型
しかも来るときよりも新しい型のようでしたが
大気の状態で少し揺れはありましたね(苦笑
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テニアン空港で、こんなに大きな飛行機を見たのは
初めてのように思いましたが
ダイナスティホテルのオーナーの自家用ジェットだそうです♪

サイパン空港に降り立ち、ホテルには2時くらいに到着
3時にならないとチェックイン出来ませんので
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ホテル内で軽く…と思いきやしっかり昼食
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祭典内でご遺族代表として玉串を上げていただいたYさん
「国歌を歌って涙が出た…」といって
ニューギニアで戦死されたお父様の軍歴を見せて下さいました。
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ニューギニアは遠くて行かれないけれど
テニアンでの慰霊祭に、また来年も参加したい!
と言っていただき、とても嬉しく思いました。
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ホテルチェックイン後は、各々思い思いに時間を過ごし
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買い物する人、プールで遊ぶ人
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私?は、部屋でお昼寝していました…
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夕食は、中華「ハピネス」で直会
中華料理らしい写真は撮り忘れましたが(汗
慰霊祭を振り返り、様々なお話をし
舞が良かった!市長さんとも懇談が出来たし
テニアン島内の学校で、雅楽公演会をする…というのはどう?
または、慰霊施設で祭典をするときは神籬があるけれど
神籬を片付けてしまうと寂しいので
当初の計画通りに社殿を建立してはどうか…など
建設的な意見をたくさんお聞きすることが出来ました。
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夕食後は、コルマール・リジャンへ移動♪
(ブログで慰霊祭の紹介もしていただきました)
リジャンのブログ♪
年に1度の、お勤め終了
楽しい夜は更けていきました。

20日は終日フリータイム♪
初めて当慰霊の旅に参加いただいた方には
通称ジャングルツアー
かなりハードでコアな島内戦跡巡りツアーをすすめていますが
74歳のYさんも進んで参加
聞けば、海外旅行も何度も行かれたり
山登りが趣味で、私たちより足腰は丈夫そうでした(汗

戦跡巡りでは、「バンザイ岬」や「ラストコマンドポスト」など
通常の島内観光でも巡る場所の他に
日本軍爆弾格納庫跡

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トーチカや魚雷、戦車などがある日本軍発電所跡

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日本軍の抵抗が凄まじく米軍に「死の谷」と言わしめ

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司令部や野戦病院が置かれ激戦化した「タポチョ山」
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野戦病院としても使われていた「極楽谷」

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南雲中将、斉藤中将最後の場所とも言われている「地獄谷」
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なども回りますが、ガイドの方が草を薙ぎ倒して進む
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ハードな、でも普段は行くことの出来ない場所を巡ります。
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私は、レンタカーを予約してありましたので
会長とTさんと家族で島内戦跡巡り
ここのところ毎年レンタカー巡りをしていますので
いつも行くところは覚えています♪
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まずはラストコマンドポスト
日本政府が建立した中部太平洋戦歿者の碑に鶴をお供えし拝礼
次にバンザイクリフ
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終戦70年の今年はパラオのペリリュー島にて慰霊された両陛下
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10年前の60年は、ここサイパンで慰霊をされました。

次にサイパンのスーサイドクリフ
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先ほどのバンザイクリフを眼下に黙祷
次は日本名で月見島、鳥が多く生息するバードアイランド
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日本統治下は月見の名所とされていたそうです。

昼食には少し早かったので
今年是非行きたいと思っていた「ハーマンズモダンベーカリー」
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今年から?免税店DFSにも出店した当パン屋さん
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DFSの人や色んな人に聞いて地図を書いてもらって
それでも行ったり来たり迷って迷って…
最終的に近くのスーパーに入って
それでも英語の出来ない私たち(笑
身振り手振りで必死に教えてくれる店員さん
お陰でなんとか辿り着きました!

行ってみれば何のことぁ~ない…
いつも空港とホテルの行き来で通っている道沿い…
店内は美味しそうなクッキーやパンがずらりと並んでいました。
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1時を回り、お腹がすいたところでガラパンに戻り
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「カントリーハウス」でステーキ♪
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午後はお土産を買ってレンタカーを返して昼寝
娘は昼寝から起きて又プールに行ったそうです♪
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この日の夕飯は、会長たっての希望で焼肉「ソウル苑」
お肉を頼むと出てくるキムチやナムルの数々
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骨付き韓国カルビが柔らかくてお奨めですが
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プルコギや豆腐チゲも美味しかったです♪
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最終日は、ホテルピックアップが早朝3時45分
皆緊張して早起きし、6時過ぎのフライトに備えました。

日本時間で9時47分には成田のホテルにいましたから
早いといえば早い、勿体ないといえば勿体ない
ですが、日本に帰ってきてからも有効に時間が使えます。

帰りのホテルからサイパン空港の間
日本を出てから初めての雨…スコールが降っていましたが
バスの中ですので、私たちは1度も雨に当たらず帰国
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日本も雨が降っていたのか、駐車場が濡れていました。
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電車で帰る人以外、靖國神社へ移動です。
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無事の帰国を報告すると共に、御霊安かれと祈り
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終戦70年の特別参拝をするために受付
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靖國神社には、今回も参加していただいたM氏の弟さんがいて
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全員揃ったところで権宮司様のご挨拶を頂戴し昇殿参拝
玉串拝礼のあとの黙祷
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正直もっと時間が欲しかったくらいでしたが
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何ともいえない気持ちが込み上げたひとときでした。

その後、遊就館までご案内いただき
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茶寮「結」で昼食、私は海軍カレーをいただきました。

昔ながらの味、日本ならではの美味しいご飯にホッとしながら
ここで参加者は解散、それぞれに帰路に着きました。

ちょうど中央道が集中工事ということで、また渋滞(苦笑
私は渋滞を避けるために下道を大回りしましたが
結果、その方が遅かったようでした(涙
帰宅後、それぞれの皆様から帰宅報告が入り無事を確認
私にとっては毎年のことですが
毎回違う皆様と旅をすることで新しい気づきもあり
とても有意義な慰霊の旅となりました。

帰宅後、初めて白衣に身を纏うとき、その身が引き締まる想い
これは私だけではないはずです…
皆がこの想いで、更に神明奉仕に邁進してくれることと思い
また来年も、多くの方と行かれるように頑張りたいと思います。

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isuzuguuji

Author:isuzuguuji
長野県の南に位置する駒ヶ根市
上穂・北割1区2区・中割・南割
5区の氏神様「大宮五十鈴神社」

祭神は「天照大御神様」(伊勢)
「熱田大神様」(熱田)
「建御名方大神様」(諏訪)始め
13柱の神様が、明治に合祀。

9月23日・24日は当社例祭
中でも、宵祭(23日)に行う
「三国花火」が有名

ブログ執筆は宮司 白鳥俊明

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「社務日誌」とありますが、神社
のことだけではなく、日々の
想いをブログに綴っています。

座右の銘
「人生は心ひとつの置きどころ」

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